1989年4月20日初版発行 1989年5月12日3版発行
村上春樹訳 中央公論社 ¥1200
村上春樹さんの訳によるアメリカの作家、レイモンド・カーヴァー氏の短編集です
カーヴァーの作品を手に取るのは2回目
1回目は、大好きな作家の村上さんの訳ということで期待していたのですが、残念ながら私には難しくて堪能できませんでした
どれも結論めいたものがなくて「あれ、一体何だったのだろう?」と戸惑わされる…
主人公が破滅に向かってゆくような内容に、こちらも欝々と…
そうした点が正直なところ、苦手でした
そして、今回
やはり、前回と同じようなハテナと、やりきれない思いに包まれます
そこで、しばし考えてみました
「どうして、苦手だと感じるのだろう」と
カーヴァー作品で描かれる、家族や主人公自身の惨めで情けない姿
こうしたことから私は日々なるべく目をそらし、存在しないかのようにして過ごしているのだと思います
それを彼はどの作品においても、描いてゆく
さらに主人公たちは、普段私が無意識に見ないようにしている、抑えようとしている感情を暴発させてゆく
その結果人生を踏みはずし、転落してゆく
その様を見ているのが辛いのかもしれない、と感じました
たとえばこちらは「メヌード」という作品の一部分
僕はこの小さな部屋のいかにも金がなさそうなむさくるしさがとても好きだった。居間のステレオ装置は音量をいっぱいに上げられ、それは家じゅうをものすごい音で満たし、台所の窓ガラスをがたがた言わせていた。とつぜん僕は震えはじめた。最初は僕の両手が震えだした。それから両腕と両肩。歯もかちかちと言いはじめた。グラスを持つこともできなくなった。
「おい、どうしたんだ?」アルフレードが振り返って僕の様子を見て、そう言った。「何だそれ?お前どうしたんだよ、いったい?」
(中略)
アルフレードがやってきて、椅子を引いてテーブルの僕の隣に座った。彼はその大きな絵描きの手を僕の肩に置いた。僕はまだ震えつづけていた。彼の手は僕の体の震えを感じることができた。
村上さんの自然な翻訳のおかげもあって、ふと油断すると一緒になって体が震えてしまいそうに
慌てて身を固くします
「入り込みすぎないようにしなくちゃ」と
やっぱり、負のストーリーに自分の思考が影響されすぎるのを警戒してしまうんだろうな
読後、村上さんの後書きを拝読
どうやらカーヴァーの作品は大まかに前期と後期に分けることができ、前期は短くて唐突に終わってしまう物語が多く、後期作品は長くなり、ある種の救済へと到達するものが多いとのこと
たしかに、本作の中では私が安心して読み終えられた表題作や「引越し」は、後期作品にあたります
最後に救いがあるような気がして、ほっとするのです
50歳という早すぎる死をむかえてしまったカーヴァー
もっと長く生きていてくれたら、もっと安心して読める作品をたくさん遺してくれたのかな
自らもアルコールに溺れたことがあるからこそ、読者がひきずりこまれてしまいそうなほどリアルに、破滅に向かうストーリーを紡ぎだすことができたのかな
病状が悪化し、死へと向かってゆく中でカーヴァーは小説をつくることをやめ、最後は詩作に打ち込んでいったそう
彼の遺作となった詩がこちらです
『終わりの断片』
そして君は、これでもまだ、この人生から
望みのものを手に入れたというのか?
ああ、僕は手に入れたよ。
おい、君は何を求めていたんだい?
自らをかけがえのない者と呼ぶこと、この地上におけるかけがえのない者と感じることだよ。
たくさんの負の物語を生み出したカーヴァーの最期は、肯定的なものだったと推測することができます
それは、カーヴァー作品で憂鬱な気持ちになった読者にも、希望の光を投げかけてくれているような気もします
苦手意識を抱いた作家の作品も、厭わずもう1冊くらい目を通してみると案外、好きな小説以上に自分を発見することができるのかもしれませんね
よい経験でした
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