昭和33年2月28日初版 昭和51年10月15日32刷
村岡花子訳 新潮社 ¥400
赤毛のアンシリーズで読破できたのは1巻目だけ
でも、子どもの頃に繰り返し読んだ本の1つ
さらに、根気のない私が唯一きちんと観通した朝の連続テレビ小説が「花子とアン」だったということ
そして、たまたま古本屋さんでシリーズの中でも素敵なタイトルを見つけたため、久々にアンワールドに身をひたすことにしました
大人になってからは初めて読む、アンの世界
一方のアンもすっかり大人になり、教師として派遣された新任地で反抗期の生徒たちや個性の強い同居人・同僚たちに悩まされながらも、子どもの頃のようなアンらしさは失わずに日々を過ごしています
私がアンに持っていた印象とは、大失敗をしでかすこともあるけれど、基本的にどんな時も朗らかでユーモアの精神があり、自然体
そして少し夢見がち
そこが全く変わっていなかったのが嬉しかったな
ああ、私はこんな人になりたいんだった
という思いが自分の内側から少しずつ湧き出してくるような思いでした
モンゴメリという女性について、もっと知りたくなってきます
さらに、訳者の村岡花子さんにも、アンと共振するような性質があったのではないかしら
村岡さんの翻訳も、自然体でのびのびとしていて、とても好きです
あなたの名前がKで始まっていてよかったと思うわ。KATHERINEのほうがCではじまるCATHERINEよりもずっと魅力的よ。Kという字はきざなCより、はるかにジプシー的ねそしてこちらも、表現力、さらには自然体で周囲にさりげなく手を差し伸べようとするアンの姿がなんとも素敵です
あの大きな家はいかにもひっそりして、寂しく、笑いの影がありません。世界が秋の色どりで渦巻いている今でさえ、あの家はうっとうしく陰気です。ちいさなエリザベスは過去の囁きに耳を傾けすぎです。サマーサイドにおけるあたしの使命の一つはエリザベスに笑い方をおしえることだと思いますの。次はまたいつか、さらに大人になったアンに、第6巻以降で出会いたいな
どらえもんと同じく普遍性を多く孕んだ物語だからこそ、長く読み続けられているのだと思います
その灯がつづいていくといいな
良書との出会いに感謝です
歴史の資料集やらテレビの歴史番組やらでたびたび目にし、気になっていた江戸深川資料館
ブルーボトルコーヒーがあるおしゃれな街として取り上げられることも多いので、資料館と街歩きを両方堪能しようとうきうき出かけてきました
この資料館では江戸時代末の町人地、深川佐賀町の街並みが再現されています
最大の魅力は、実際に建物の中に足を踏み入れ、展示してある引き出しからお米に野菜…大方のものに触れることができること
こちらは船宿
中に入ってお台所の様子をつぶさに眺めることができました
長屋の様子に
天ぷら屋さん
二八蕎麦
なんて芸が細かいのでしょう…
これで大人の観覧料金¥400は破格
江戸東京博物館もいいけれど、大きすぎて疲れてしまうこともあるので時間が限られている外国の観光客の方々にもここは喜ばれるのではないかな
なんと季節によって八百屋さんに並ぶ野菜の顔ぶれが入れ代わったりもするようなので、またぜひ街歩きも兼ねて遊びに行ってみようと思います
今度は深川めしを食べたいな
今泉吉晴訳 2016年8月10日初版
小学館 各850円+税
19世紀のアメリカを生き、27歳で森に家を建て一人住まいを始めたソローの、暮らしの報告及びいかに生きるかを説いた書です
私の感じるこの書の魅力はふたつ
ひとつは文章の美しさ
もうひとつは刺激を与えてくれる言葉や思想
たとえばこの一節
散歩好きで且つ比喩好きな私としては、牛のように何度も反芻したくなる箇所です
時に私は、マツの森にぶらりと散歩に出ました。マツの森は私の目に、壮麗な異教の寺院に見え、あるいは大海原を行く、帆をいっぱいに広げた商船隊に見えました。堂々たるマツの太枝が風に揺れ、太陽の光を受けてきらきらと輝くさまが、あまりにも見事だったからです。
壮麗な異教の寺院のようなマツの森…
ステキすぎるやろーー
そして数々の箴言
生きるとは、私だけの実験です。たしかにほかの誰もが生きてはいますが、それを参考にすることができない、私だけの実験です。 引っ越すのは、世界を捨て、燃え尽くすにまかせ、再生する生き生きした世界に移り住むこと、ではないのでしょうか?(中略)
罠に挟まれた尾を、自分で切り離して逃げるキツネはまだ幸せです。
マスクラットは、罠に脚を挟まれるたびに齧りとって逃げ、ついには三本目の足を切り離して自由を求める勇気を持っています。家具すら捨てられない人が、突然の不幸に立ち直れないのは当然です。いつだって人はがんじがらめなのです!
(鷹の飛翔を見て)
その姿は、果てしない宇宙のどこにも仲間はいないよ、でも、自在に飛べる朝と大気さえあればいいんだよ、と言っているかのようでした。
ああ…
日ごろから日本人や日本の社会に対して感じている、
とりわけ自分自身に対して感じていることを200年前の人に鋭く指摘されている…
私達は失敗を恐れるあまりなのか、つい自分との対話よりも他者と表面上合わせることを重視し、且つ、「所有する」ということに囚われてしまいがちであるような気がします
かたちあるものであれ、ないものであれ
でも、多くのものは「持たなければならない」という強迫観念でしかなく、本当にそれらが自分にとって必要なのか否かの吟味を怠っている
その結果、1番の本質を見失ってしまっているような気がするのです
私達というか、私ですね
半年に一度ほど、「自縄自縛」という言葉が思い浮かびます
私はどんな人でも、私の暮らし方で暮らして欲しいとは思いません。私の暮らし方を真似ても、真似たころに私は別の暮らし方をしているし、私はこの世界になるべく多様な個性の人がいてほしいからです。それに、私は誰もが最大限に自分を大切にして、父の生き方でも、母の生き方でも、隣人の生き方でもない、自分の生き方を探すよう願っています。私にはソローの生き方はできないし、家具も雑貨も本も、捨てられないものはたくさんあるけれど、なるべく、最大限に心は自由にのびのびと生きていきたいな
齢を重ねても、幾ら仕事を頑張ったとしてもそれだけに囚われない、自由な発想で焼きたてのお餅のようにのびのびびよんとしていたい
新年に改めて生き方について考えさせてくれた、実直で美しい本でした
上巻;生き残った者 下巻;還って行く者
2014年9月25日初版 角川書店 各¥1600(税別)
テレビのベストセラーランキング
本屋大賞受賞のふれこみ
等々で、以前から気になっていた作家さんのおひとりでした
本作を読んだのは2017年から18年にかけての年末年始
はじめは旅先の小間切れ時間に読んでいたので沢山いる登場人物が覚えきれず、やや難儀しました
が、家で落ち着いて読み始めたらもう止まらない
2冊で1000ページを超える分量なのですが、あっという間に読み終えてしまいました
著者の上橋さんは作家であり大学の児童教育学科で児童文学についての教鞭をとっておられながらも文化人類学者としての一面ももっておられるという才媛
本作も子どもから大人までが楽しめるメッセージ性の強い内容でありながら、その魅力は物語性だけでなく、病と人間の歴史や地域性などについても読者が考えることができるような懐の深さがあり、どの切り口から見ても興味をひかれる作品でした
読み終えて一週間くらいはふとした瞬間にこの小説のことを考えてしまったし、その都度登場人物たちが病に打ち震えたり山々を駆け巡る姿がありありと思い浮かんできてきました
自分の中に、彼らのスペースが確保されていて、自分の中で彼らが生きているかのように感じられた…
これだけ自分の中に物語がしっかり根を下ろしていると感じられるのは、私としては珍しいこと
ひとえに、この物語の力、上橋さんのお力なのだと思います
物語の冒頭と終盤で繰り返されていた言葉
生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ悲観的にとることもできるけれど、逞しく生きてゆくための糧にもなりうる深い言葉
反芻しながら人生の歩みをすすめてゆきたいものです
だいぶ前の話になってしまいましたが、初めて訪ねました、松濤美術館
丸の内にも作品が展示されている彫刻家の三沢厚彦さんの展覧会が開催されていたので
今回そそられたのは、会期中は基本的に三沢さんが会場におられ、作品の制作をなさっているということ
私が行ったのは最終日でしたが、初めて制作現場というのを目の当たりにすることができ、とても刺激的でした
あとは舟越桂さんの作品を生で鑑賞できたことも幸せだったし、思わぬ収穫だったのは美術館そのものがとても素敵な空間だったということ
中は小川洋子さんの小説に出てきそうな静謐な空間
古い洋館というか
昔は中にカフェスペースがあったのだとか
行ってみたかったな
でもまあ、ずっとこの場所を知らないでいるよりは、今でも出会えてよかった
渋谷を、物欲充足のための場所としてではなく、文化欲を満たす場として捉えてゆきたいなと思う今日この頃です