吉田典子訳
2004年2月28日初版 2010年1月20日2刷
藤原書店 ¥4800+税
タイトルが気になって長いこと積読になっていた1冊です
単行本で600ページ超という大作ですが、意外に簡単に読める
そして圧巻です
この本で舌を巻くのはゾラの観察眼
描写力と洞察力が冴えわたっています
タイトルから推察できるように、本書はデパートという販売形態が始まって間もない頃のフランスが舞台
創業間もない話題のデパートで働くことになった地方出身の貧しい女性の生活を中心軸に据えながらも、次から次へと展開される商品の大洪水の虜になる女性の所有欲・過剰労働を強いられる労働者の姿などに見事にスポットがあてられています
物が溢れる生活・かつ「働き方改革」などという言葉をよく耳にする昨今の日本に住む者としても大いに考えさせられることばかり…
こちらの箇所は、ボヌール・デ・ダム百貨店について
彼女たちにとってボヌールは、艶っぽい趣向を凝らしたパーティに来ているかのようだった。絶え間ないお世辞で愛撫され、惜しげもなく賛美されて、もっとも貞淑な女たちでさえ、引き留められるのだった。デパートの大いなる成功は、この女性への心遣いに満ちた誘惑から来ていた。昨日ちらっと覗いた東京ミッドタウン日比谷の盛況ぶりが思い出されます
綺麗なデパートやショッピングモールって、行っただけで既に浮き足立ってしまうのですよね…
昔のパリジェンヌたちの心模様も同様だったようで、ボヌール・デ・ダムの売り場、とくに白のものばかりを集めたコーナーにはすっかり心を奪われた様がゾラの見事な筆致で描かれています
彼女たちは店中の布地が歌っているこの白の歌声に飽きることがなかった。ムーレはこれまでこんな広大なものを手がけたことはなく、それは彼の陳列術のまさに天才的なひらめきだった。これらの雪崩落ちる白の群れ、はち切れた仕切棚からでたらめに落ちてきたような布地の乱雑さの中には、調和のとれたフレーズがあり、白はそのあらゆる色調に連続して展開され、巨匠のフーガのような複雑な管弦楽の調べとなって、生まれ、成長し、開花する。その連続的な展開は、人びとの魂を、ますます大きく飛翔させるのである。白以外何もなかったが、決して同じ白ではなく、あらゆる白が、互いに重なり、反発し、補い合って、光の輝きそのものに達していた。最初に来るのは、キャラコや麻布の不透明な白、フランネルやラシャのくぐもった白である。つぎにビロード、絹、サテンと色階は上昇していき、白は少しずつ燃え上がって、ついには襞の折り山で小さないくつもの炎となる。そして白はカーテンの透明さとともに飛翔していき、モスリン、ギピュール、レース、チュールに至っては、自由奔放な光となる。とりわけチュールは、あまりに軽すぎて、ほとんど聞こえないような最高音を奏で、一方オリエントの絹布の銀ラメは、巨大な閨房の奥で、高らかな歌声をあげていた。…
読んでいるだけで陶然としてしまいます
こんな売り場にいったら、きっと心拍数は上がり、タガが外れて色々買い漁ってってしまうのだろうな
お恥ずかしながら経験があります、何度も…
はて、どうしてゾラさんは女性心理をかように巧みに言い当てられるのでしょう
本当に、その観察眼と美しい描写力に声が出ません
最後にこちらは打って変わって、過剰労働を強いられるデパートの店員についての箇所
こうした負け犬のような生活は、もっとも性質のよい女たちをも、悪い人間にしてしまう。そして哀しい行進が始まる。どの女店員も、四十歳になる前に、仕事に食いつぶされ、姿を消して行方知れずになり、多くのものは苦労のあまり、肺病や貧血症にかかり、疲労と悪い空気のために死んでしまう。中には路上に身を落とす者もあり、もっとも幸福な者でも結婚して田舎の小さな店の奥に埋もれてしまうのだ。デパートが毎年行っているこの恐るべき肉体の消費は、人間的だろうか、正当なものだろうか。(中略)堅固な機械を欲しいと思えば、良質な鉄を用いる。もしも鉄が壊れたり、それを壊したりすれば、仕事が停止し、稼働するのに繰り返し費用がかかり、まったくの力の損失となるではないか。もちろん全てが当てはまる訳ではないけれど、世界的にみても残業が多く過労死が出てしまっている日本の現況を鑑みると、この文章は未だ力を存分に持っていると思われてなりません
所有欲といい働き方といい、本書は今の日本にも大いに響く警鐘が複数鳴らされていて、読んでひと月余り経ってしまった今でも、思い出すだけで読後の衝撃が甦ります
この本は、手放せないな
あれ、これも所有欲かしら…
ひとまず、大切に持っておきたいと思います
酒寄進一訳
2017年6月20日初版第1刷発行
光文社 ¥720+税
2カ月ほど前に開催された読書会に参加すべく、読んだ1冊です
ヘッセと言えば1番に思い浮かぶのは『車輪の下』
小学校の頃の読書感想文の定番
お堅いイメージがつきまとっている作家でした
が、少しイメージが変わったのは大人になって短篇集『メルヒェン』を読んでから
宝箱の中身のような美しい表現を含む物語に、少しずつヘッセに対するイメージが変わったことを覚えています
そして今回の『デーミアン』
本の帯には「悩める若者たちに読み継がれる青春小説」というキャッチコピー
私が年を取ったからでしょうか…
たしかに心を惹かれるようなフレーズはあったものの、主人公の言質が少々過激に感じられてしまって、心酔、とまではいかなかったのが正直なところです
いざ読書会に参加してみると、同じような感想を抱いた方が何人も
少し安堵の気持ちを抱きつつ、この小説にユングやグノーシス思想などが大きく影響されていることなどを知り、大いに勉強になりました
自分が支持する思想を小説にのせて読者に届けるとはヘッセ、ちょっとサルトルみたいだなぁ
と、偉そうに辛口な感想を述べたものの、素敵だなと感じる箇所もありました
新年度
何かに迎合するのでなく、一歩一歩自分で考えながら知識や思考を積み重ねてゆこうと、ヘッセの紡ぐ言葉にも刺激を受けながら思うのでした
だから、なにが認められ、なにが禁じられているか、とくに自分になにが禁じられているか自分で見極める必要がある(中略)-そんなのそのときの都合で決まるんだ。自分で考えて白黒つけるのが面倒な人は、掟に従う。その方が、楽だからね。
1999年10月10日初版発行
文藝春秋 ¥419+税
村上さんが1991年から1996年にかけて発表した7作の短篇が収められています
まず感じたのは、本書は村上さんの作品の中でも特に感覚に訴える作品が多いということ
改めて考えてみると、どの作品でも背筋がぞわっと寒くなるような瞬間が
「七番目の男」に登場する嵐の中の波などは、かなり怖かったなぁ
もしかしたら、表題作が「レキシントンの幽霊」であるように、幽霊に遭遇した時のような気持ちにさせる作品が集められているのかもしれないな、とも思いました
そして、最近村上さんと川上未映子さんとの対談を読んでいたら、本書の中の「緑色の獣」が言及されていたことを発見
もう1度ぱらぱらと読み返していたら、緑色の獣のさまが非常におどろおどろしく描かれているのだけれど、同時にしゃべり方や心根などがとても可愛らしくて、気づけば虜になっていました
たとえば彼の愛の告白はこんな調子
ねえ奥さん、奥さん、私はここにプロポーズに来たですよ。わかるですか? ずつと深い深いところからわざわざここまで這い上がつてきたですよ。大変だつたですよ。(中略)私は深い深いところであなたのことを想つておつたんですよ。それで我慢がきかなくなつて、ここに這い上がつてきたたたですよ。みんなとめたですよ。でも私は我慢ができんかつたですよ。結構勇気もいりりましたよ。お前つみたしな獣が私にプロポーズするなんて厚かましつて思われるんじやないかつてねえ。きゅん…
この壊れたレコードのような言い方
何て可愛いのでしょう
さらに獣はいかつい見てくれながらも奥さんに疎まれるとどんどんしょぼくれてしまう
そんな姿も愛おしいのです
同じ村上作品の羊男や、最近の作品だと騎士団長にも通ずるところがあって可愛いなぁ
村上さんの作品の魅力はたくさんありますが、その1つが不格好かわいい登場人物の存在なのではないかとも感じました
何度読み返しても萌えポイントがある作品集
ずっと大切にしてゆこうと思える1冊です
堀茂樹訳 2001年5月31日発行 2014年1月15日15刷
早川書房 ¥660+税
頭を棒で殴られるような衝撃
とでも言えばよいでしょうか
何の予備知識もないままに手に取ったために、一層強烈な印象を受けた一冊でした
作者のAクリストフ氏はハンガリー生まれの女性
20歳で母となるも1956年のハンガリー動乱の際に亡命
離婚・再婚を経てスイスでフランス語を学び、1986年、フランス語で書いた本作が出版され大きな反響を呼ぶことになります
まずは、母語以外の言葉での執筆であるということに感嘆
けれども、何と言っても心を奪われるのは作品そのものなのです
タイトルにもなっている「悪童」とは、戦争が激しさを増す中で小さな町に住む祖母のもとに預けられた双子の男の子のこと
親元を離れ、祖母からも庇護を受けることのできなかった少年たちは生きるために、誰におもねることもなく淡々と自らを鍛えて、したたかに生きる術を身につけてゆきます
本書は、少年たちが自らの記録のために残した日記という体裁
作者は戦争という極限の状況の中、次第に取り繕うことができなくなってくる人間の醜い性を、まるでガラス板のように曇りのない無垢な少年の目を通して描いてゆきます
たとえばこれは、司祭と少年たちのやりとり
「それなら、<十戒>を知っているわけだね。戒めを守っているかね?」
「いいえ、司祭さん。ぼくたちは戒めを守りはしません。第一、戒めを守っている人なんて、いやしませんよ。『汝、殺す勿れ』って書かれていますが、その実、誰もが殺すんです」こちらはソ連のことと思われる<解放者たち>の時代がやってきてからの場面の、少年たちの日記
その後、ぼくらの国には新たに軍隊と政府ができるけれど、ぼくらの国の軍隊と政府を指導するのは、ぼくらの<解放者たち>なのだ。彼らの旗が、あらゆる公共の建物に翻っている。彼らの統帥者の写真が、いたるところに掲げられている。彼らはぼくらに、彼らの国の歌謡曲を、彼らの国のダンスを教える。ぼくらの国の映画館で、彼らの映画を上演する。学校では、<解放者たち>の言語を学ぶことが義務づけられ、それ以外の外国語は禁止されている。
ぼくらの<解放者たち>に対しては、また、ぼくらの国の新政府に対しては、いかなる批判、いかなる冷やかしも許されない。単なる密告を根拠に、訴訟手続きを踏まず、裁判の判決も経ないで、誰でも投獄される。多くの男女が原因不明のまま姿を消し、そうなったら最後、彼らの消息は、もうけっして近親者に届かない。これ以上ないほどの痛烈な皮肉
もう、タイトルにある「悪童」とは、双子の少年のことではなく、それを取り巻く大人たちなのではないかと思えてきます
感情を排した淡々とした記述がいっそうの衝撃をもたらす…
この作品は、20世紀の負の遺産を実感をもって感じられるように、ぜひ今世紀のみならずその先まで読み継がれていってほしい作品だなぁ
集中力のない私にしては珍しく、ノンストップで読み干してしまった作品でした
本作は三部作になっているそうなので、ぜひ続編も近いうちに読んでみたいと思います
平成29年12月10日初版
幻冬舎 ¥600+税
パンクバンド「INU」で活躍
1996年、初の小説を発表し翌年ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞受賞
2000年、芥川賞受賞
パンクバンドに芥川賞
なんだか数年前に同じ賞を受賞した又吉さんや羽田さんのように強烈なキャラクターの持ち主であろうことが予想されます
なぜか周囲に複数、熱烈なファンがいたこともあって、まずこの本から手に取ってみました
笑います…
食をめぐる果てのない妄想
たとえばレンジでチンするトマトリゾットから始まって、類似するレトルト食品にまつわる話だけでおよそ20ページ
チンするだけと謳いながらも少々手間がかかることを散々ぼやいた挙句、いざ食べてみると空きっ腹には激烈な美味で、そう感じた自分をこんな調子で貶めます
(前略)というと、日頃からおいしものを食べつけている人は、「おほほほ、愚昧な人ね。コンビニエンスストアーで買ってきたインスタント食品がそんなにおいしい訳ないじゃない。そんなものをおいしいと思うなんて、日頃、ろくなものを食べていないのね。きっと貧乏なのね。そしてばかなんだわ。貧乏&ばか、の二重苦なのね。いいえ。それに短足が加わった三重苦」と言って嘲笑するに違いない。…
めんどくさい~
どうしてそうなっちゃうのよ~
誰も君を短足だなんて言ってないでしょうよ~
周りにいたら確実に敬遠してしまうけど読んでいるだけだとそのぶっ飛んだ思考の連続に、にやにやを禁じ得ません
よくもまぁ1つの食べ物をめぐる小さな話をここまで大きく膨らませられるものだという呆れと感心
三浦しをんさんを彷彿とさせるようなオタク気質の文章
それにそこはかとなく漂う太宰治的な自意識の過剰さと自嘲
読後には、町田康氏は現代の太宰治なのでは
この作品は相当なパンチが効いた、太宰治変奏曲なのでは、という結論に
そして続けて読んだ氏の小説『くっすん大黒』はさらなる捧腹絶倒
私の読書の引き出しに、間違いなく「笑い」という段が加わったのでした